20101008

20100908 Helsinki

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早くから計画をたてていたにもかかわらず、
出発前は怒濤の忙しさで何の準備も出来ていませんでした。
しかもようやく仕事を終え「ちょっとひと眠り」と思ったら
目を覚ましたのが家を出る時刻の1時間半前。
下調べも荷造りも当然できておらず、目の前が真っ暗になりました。
そんなこんなでようやく辿り着いたヘルシンキ。
2度目しかも1泊のみということで軽く街ブラする程度でいいかと思い、
まずは陽光差し込むホテルの部屋でビールを1本。
次にベッドの上で意識を取り戻したのは、既に深夜のことでありました。

In early 2010, I purchased a flight ticket to Europe. I was really excited about it, however, I got very busy in the ensuing months and work had not been quiet up until the last day before my vacation. Thus I had not yet prepared for my trip. In addition to this, I overslept on my departure day.
There was only an hour and a half before I had to leave home, so I had to pack everything up in haste without due consideration. As a result, I found that I forgot to bring some necessaries, even my guidebook.
Anyway, I arrived at my hotel room in Helsinki in the late afternoon. It was my second visit and I had already explored this lovely small city before. Although it was just a one-night stay and I would have to check out early the next morning, I decided to have a can of beer and take a nap before going out.
When I woke up again, it was almost midnight.
Having beer, sleeping, and having breakfast. That's all I did in Helsinki. I don't remember how many times I cursed myself that day.



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20060726 Auschwitz-Birkenau Concentration Camp

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今日の目的地は、ポーランド国立オシフィエンチム博物館。
ドイツ・ナチスによるアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所跡地です。
「オシフィエンチム(Oświęcim)」は収容所のある都市の名前。
そこに付けられたドイツ語名がアウシュビッツ(Auscwitz)だということは、
旅行前に初めて知りました。
クラクフ中央駅7:10発のバスにKちゃん、昨日会ったIさんと共に乗り込み、
ガイドさんとの待ち合わせ時刻の9時までには現地着。
案内してくださったのは、同施設公認ガイドのうち唯一の日本人である中谷剛さん。
朝早いせいか、まだ人影もまばらです。

旅行前は、私のように歴史に疎い者がのこのこと出かけてよいものだろうかと
少しためらいがありました。館内を進むうちにその思いは強くなります。
本や映画などを通してしか知らなかった事実の数々がグイグイと胸に突き刺さって、
鉛のような重い感覚がどんどんたまっていきます。
虐殺の痕跡を目にしたからと言って、実体験した訳ではないことに変わりはないのに。
でも、時々ふとどこか遠い世界の話を聞いているような気持ちになったのもまた事実です。
私が平和な場所で生きている人間だからなのか、
ここで行われた非道な行為が狂気という言葉さえも遥かに超えたものだからなのか。
収容された人々の写真が壁一面に並んでいます。
所々にまだ新しい花が添えられています。
それを目にして、これが現実にあったことだということを、
また、今なお歴史は悲劇の上に続いているということを再び思い知るのです。

第二強制収容所ビルケナウでは、イスラエルからの旅行者を多く見かけました
(中谷さんに教えてもらわないとわからなかったのですが)。
そしてちょうどこの頃、イスラエルのレバノン侵攻が連日ニュースを賑わせていました。
ここに敷かれた線路を見た時、頭に浮かんだのは
学生時代に観た映画『コルチャック先生』のラストシーン。
収容所行きの貨車が草原で停まり、
ユダヤの象徴であるダビデの星の旗を持った孤児院の子どもたちが降りてくる場面。
笑顔を浮かべ、楽しそうに駆けてゆくコルチャック先生と子どもたちの姿は
画面からフェードアウトして、そして…。

中谷さんのガイドは、決して感情的にならず、また語り過ぎることなく
それでいてとてもわかりやすいものでした。
もちろん一から十まで教えてくれた上で、
その次に自分で考えるための手がかりをくださったような気がします。

今もまだ、何がわかって何がわかっていないのか自分でも理解できていませんが、
いつかまたこの地を訪れてみたいと思っています。


『アウシュヴィッツ博物館案内』中谷剛 著
『アウシュヴィッツ収容所』ルドルフ・ヘス 著/片桐啓治 訳
『コルチャック先生』(原題:Korczak)1990年 ポーランド・西独・フランス合作
  監督  アンジェイ・ワイダ/主演  ヴォイテク・プショニャック
IMDb
ヤヌシュ・コルチャック(Wikipedia)

20100320

20060725-27 [Hotel] Hotel Floryan

16世紀に建てられたという建物を改装したHotel Floryan。
旧市街地のメインストリートであるFlorianska通り沿いにあり、とても便利です。
レセプションはこじんまりとしているものの、部屋に入ればゆったり広々。
併設のレストランは朝食時にしか利用していませんが、
シックなインテリアでよい雰囲気でした。
2部屋あるスーペリアルームを1泊朝食付470PLNで。
ダブルベッドと簡易ベッドがありました。
チェックアウト時、ジャイアン(仮名)氏が外へ出て見送ってくれたのですが、
知らない国での旅は小さな心遣いが身にしみます。
メール予約時のやり取りも大変親切丁寧でとても好印象でした。

さて、日本に戻ってからKちゃんと宿泊料金の精算をしたのですが、
Kちゃんが送ってくれたホテルのレシートは手書きのもので、
どこからどこまでが一文字なのかさえ解読できませんでした。

| Hotel Floryan |
Floriańska 38
http://www.floryan.com.pl/en/


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20060725 Berlin→Kraków

振り返ってみると、まだまだ行きたいところが残りまくりのベルリン滞在。
ソーセージ、もっと食べたかった。
後ろ髪をひかれながら、ホテルを後にします。
朝のFriedeichstr.駅。自分の持っている乗り放題チケットで空港まで行けるのか
念のため確認しておこうとSバーンの窓口へ。
するとそこには、なんと素敵なSバーングッズの数々が。
シンプルなロゴ(参照)を使ったマウスパッド、キーホルダー、ペンやリュックなどが
ガラスケースの中に並んでいます。
時間が無かったので購入はあきらめました。もっと早く知っていれば。

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チケットでエアポートエクスプレスに乗れるとわかったので、
列車で一路シェーネフェルト Schönefelt 空港へ。
ちなみにこの「Schö」の発音が大変難しく、Sバーン窓口でなかなかわかってもらえませんでした。
見た目はなんとなくこじんまりとした空港に到着。
入口前で、お客さんや空港の職員の方たちが肩を並べてタバコを吸っていました。
中に入ると全然こじんまりとしていませんでした。
マフィンとオレンジジュースで朝昼兼用の簡単な食事をすませ、
今日乗る飛行機、easy jetのカウンターでチェックイン。ここでもすごい人です。
ここまで大変スムーズだったのですが、出国審査で旅のルートをかなり詳細に聞かれ、
少し手間取る羽目に。
何故なら7月9日の関空出国以来、パスポートに1つもスタンプが押されていなかったのです。フランスめ。

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どっと疲れた出国審査を終え、やっと機内へ。
easy jet のCAさんはいかつい男性二人。
安全設備のインストラクションの間もずっとニヤニヤしてます。なんだか新鮮。
で、とうとうこの旅の最終目的地、ポーランドはクラクフのバリツェ Balice 空港に到着。
軍用機がずらりと並んでいます。
ここで日本人旅行者のIさんと知り合いになり、一緒に市内へ移動することになりました。
Iさんは会社を辞め、全行程3ヵ月半の旅の途中でした。大変うらやましい。
つい先日開通したばかりという市街地行きの列車に乗りたいと私が主張し
空港からのシャトルバスに乗り込んだのですが、いざ駅で降りてみると
まったく何も無い場所にホームがあるだけのびっくりな状態でありました。車両は2両。
そしてなんとか中央駅に着いたものの、今度は駅で迷う。この複雑で広い駅はなんなのだ。
駅ではたくさんの学生らしき人たちが観光客にホテルを斡旋していて、
最初はなんとなくうさんくさく思っていたのですが実はものすごく親切で、
私が予約していたホテルまでの行き方を丁寧に教えてくれた上に
地図までくれました。うさんくさいだなんて思ってしまって大変申し訳ありません。
そしてIさん、適当な行動に付き合わせてしまって大変申し訳ありません。


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さて、ようやく今日の宿、HOTEL FLORYAN に到着しました。
メインストリート沿いで駅からも近く、とても便利な立地です。
レセプションにいた大柄な男性と眼鏡の小柄な男性とのやり取りがおもしろく、
「よさそうなホテルだな」と思ったら部屋も広々としてとても素敵でした。
ベルリンでエアコン無しの4夜を過ごした後なので、快適指数300%。
そして、部屋のドアを開けて私を迎えてくれたのは、大学時代の友人Kちゃん。数年ぶりの再会です。
千葉と香川に住む私たちがクラクフのホテルで落ち合うなんて、
なんと二人とも大人になったことよ。


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冷蔵庫のビールを空けてしばし休憩。
レセプションの人(Kちゃんは“コメディアン&メガネくん”、私は“ジャイアン&のび太くん”と命名)に明朝のアウシュビッツ行きのバスの時刻を調べておいてもらえないかとお願いして、散歩に出かけました。
ほんとに中世のままのような美しい街並。
でも思っていた以上にハイカラな今時のショップも多いです。
あっという間に中心地の端の方に着いてしまいました。
これなら滞在中に公共交通機関を使うことはあまり無さそうです。
夕食は途中で見つけた雰囲気のよさそうなレストランへ。
屋根裏のようなフロアに通され、素敵ーと思っていたら熱気がこもってとてつもなく暑い。
なのでビールを即オーダー。
同じ名前のバリエーション違いの料理がメニューにずらりと並んでいたので、
一つ試しに頼んでみることにしました。
運ばれてきたお皿を見てびっくり。大きい。そしてお皿からはみ出さんばかりの料理。
お店の女の子に「1人で食べられる量ですか?」と聞いたら
「オフコース!」と元気よく返ってきたのに。
鶏肉や野菜を炒めたものを、ピタパンのような生地で包んだこの料理。
かかった甘口のソースがほのかにオタフクソースを思い出させ、
さらに添えられたマヨネーズでお好み焼き風味がアップします。美味しい。
Kちゃんの選んだ、スパイシーな豚肉のソテーもとても美味しい。
汗をふきながら完食しました。やはりご飯は一人より二人で食べる方が楽しいです。

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写真が見にくくて醜くてすみません


ホテルに戻る前に、私はネットカフェに行かなくてはいけません。
明日会う予定の人と連絡を取らなければならないのです。
ビルの2階にある怪しげなネットカフェ。狭くて暗い。
もともとWindowsをほとんど使ったことが無いのに加え、キーボードはポーランド語配列。
悪戦苦闘して、なんとかメールチェックを終えました。
部屋に戻ってみると、Kちゃん曰く
「コメディアン(仮名)は“わからなかった”との伝言を残して帰ってしまったらしい」との事。ガックリであります。
さらにKちゃんが、「おもしろいからぜひテレビで映画を見てみて」と言います。
チャンネルをあわせてみると、確かに笑えます。何故かというと、すべてのセリフを弁士よろしく一人の男性がポーランド語に吹き替えしているのです。
とても真面目な口調で。アクションシーンも女性の声も。
コメディ映画もこんなに淡々と訳すのでしょうか。
ベッドシーンもこの調子なのでしょうか。
今思えば、もしかするとテレビの設定が副音声になっていたのかもしれませんが
この時は大ウケしながら「遠い国に来たなぁ」としみじみ実感しておりました。

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大真面目

余談ですが、部屋に置いてあったクラクフの電話帳がびっくりするぐらい分厚く、
中も極小フォントでびっしり埋められていたのが忘れられません。

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朝起きて一番に目に飛び込んでくるのは馬のお尻

カラカラに乾いた喉と共に目覚めた今日はベルリン最終日。
一刻も早く喉を潤さんと猛スピードで身支度を整え、
レセプションで購入したオレンジジュースを一気飲み。
その足で郵便局に梱包用の箱を買いに行きました。
移動が多いからと荷物を少なくしたのですが、
やはり大きなスーツケースにしておけばよかった。

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ホテルの人に教えてもらった Friedrichstr. 駅内の郵便局で、無事購入。
ガイドブックによるとこの近くで“博物館島マーケット”が行われているというので
そちらの方に向かって歩いてみることにしました。
が、場所は合っているはずなのに、何も無い。
移転したのか、私が何か間違えているのか。
まあとにかく荷造りのために一旦ホテルに戻ろうと思ったら、
途中でインド料理レストランの店頭に、
「Chicken Curry mit rise mit salat €5」
の文字を発見。チキンカレー! ごはん! なんて魅力的 !!!!!
前夜ビールだけで過ごしたこともあり、お腹ペコペコです。

さて、ビールと共に運ばれてきたカレーセット。
おかーさーん、やっぱり量が多すぎたよ!
美味しいのですが食べても食べても減る気配がありません。
さらにインディカ米(?)って、ちょっとパサついている分よく噛むからか、
胃の中で水分を吸収するからか、とにかくお腹が猛烈に膨れます。
さすがの私も残さざるを得ませんでした。すみません。
食後に出された一口サイズのマンゴージュースが絶品でした。

で、部屋に戻って不要な物などを荷造りし、再び郵便局へ。
この辺りからなんだか体調がおかしくなり、並んで順番を待つのも辛くなってきました。
やっと窓口の前に立つと、親切な職員さんが
「別の箱に詰め替えた方が送料が安くなる」と教えてくれたので
新たに箱を買い直し、駅前のベンチで再荷造り。
段々嫌な汗が流れ始めて、少々危険を感じたのでひとまず売店で水を購入したのですが
なんと0.75リットルをほとんどすぐに飲み干してしまい、
それでも喉の乾きがおさまりません。そしてひどい目眩。
「もう駄目だ…」と思ったその後、

気付けばベンチで1時間程熟睡していました。
荷物も我が身も無事でしたが、今思い出してもおそろしい。


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少し気分が回復したので荷物を発送し、Uバーンに乗り込みました。
目指すはユダヤ博物館 Jüdisches Museum Berlin。
最寄りの Hallesches Tor 駅とその前に建つ円形の集合住宅、
中心の広場のバランスが美しい。
なんといっても最終日、気合いを入れてなんとか歩きます。
ユダヤ博物館はポーランド生まれで今はアメリカ国籍を持つ Daniel Libeskind 氏の設計。
なんでもこの建物の複雑な形はドイツ人とユダヤ人の関係を表しているとか。
不規則な構造、途切れては新たに広がる空間、狂うバランス感覚。
「The Holocaoust Tower」という狭く閉ざされた部屋は、
かろうじて差す光は決して手の届かない遥か頭上に、といった作り。
歴史の重みをひしひしと感じる場所です。
他に印象的だったのは、屋外にある、49本のコンクリート柱の並ぶ「The Garden of Exile」。
傾いた地面の上を歩いていると得も知れぬ心細さにおそわれます。

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この博物館はもっとちゃんと見るべきだったのですが、
また体調が悪化してきたので途中で切り上げることにしました。
これが今でも悔やまれます。
駅前まで戻って、本日数回目の胃薬を飲んでベンチで休憩。
少し風が出てきて、やっと少し生き返った気分。
耳を澄ますとあちこちからドイツ語が聞こえてくるのですが、
やはり何度聞いても「ア、ソウ(Ach so:正確には「ゾウ」らしい。よく使われる相づち)」「チューッス(Tschüs:くだけた“さよなら”)」が日本語にしか思えず愉快です。
この暑い中真っ黒なスーツに真っ黒なサングラス着用のおじさんが、
肩に大変立派な青いオウムを乗せて目の前を通り過ぎました。
背中にはくっきりオウムのフンの跡が付いてました。


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寛大な心と厳格な心と


少し楽になったので、今度は「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 Denkmal für die ermordeten Juden Europas」へ。
ポツダム広場近くに広がる約19,000㎡強(!)の広大な敷地に、
2,711(!)もの石碑が並びます。離れて眺めても圧巻だけれど、
中を歩いて見るとまた感じ方が変わります。
高低差のある石碑の作る影や、通路の向こうにふと現れてはまた消えていく人々。
ユダヤ博物館の外庭と同様に何か心細い気持ちになります。
今私は、虐殺された人々のお墓参りをしているのでしょうか。

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しばらくそこで過ごした後、地下の情報センターが閉まっていたので
そのままポツダム広場へ向かいます。
映画「ベルリン・天使の詩」では、登場人物ホメロス翁が、「ここがあのポツダム広場か?」(うろ覚え)と荒涼とした風景の中でつぶやいていました。
その映画でしかこの地を知らなかった私も言います。
「ここがあのポツダム広場か?」

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まだまだ周辺に空き地は多いものの、立派なビルがてんこ盛り。
その中心・ソニーセンターの広場で腰を下ろします。
大変賑わっており、ノートPCを広げている人多数。無線LANスポットなのでしょうね。
よちよち歩きの女の子がボールを蹴って遊んでいます。
あらぬ方向へ行ってしまうボールを、
警備のおじさん、道往くビジネスマンや観光客らしき人たちが
優しく蹴り返してあげていました。微笑ましい光景。
この日一番なごんだ時間でありました。


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ホテルに戻る前に冷房で体調を整えようと、
またもや大型書店のドゥスマンへ。やっぱりここはパラダイス。
次に使う機会があるかどうかはさておき、
Lonely Planet のフランス語&ドイツ語旅行会話集を購入しました。
「ドラッグはやりません」なんていう会話例があって、無駄な知識がつきそうです。
あと、つい買ってしまったのがワールドカップ2006コーナーに
山積みされて絶賛大安売り中だった緑色のTシャツ。
シンプルに「BRING MICH ZUM RASEN!」と書かれてあり可愛いです。
“私を野球に連れてって(Take Me Out To the Ball Game)”のサッカー版でしょうか。
その後はあまり食欲もないので、ホテル近くの小さな食料品店で
ビールと水と一見海老のオリーブオイル漬けのようなものを購入。その名も「Surimi」。
そのまんま魚介のすり身なのですが、オイルと酢がきつすぎて味がよくわかりません。
ベルリン最後の夜は、こうして地味にふけていきました。

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点けると死ぬ程熱くて暑い禁断のライト

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20060723-24 [Hotel] Arte Luise Kunsthotel

ベルリンはミッテ地区にあるデザインホテルで、
シュプレー川からちょっと歩いて『森鴎外記念館』の目の前です。
駅からは少し遠いように感じたけれど、静かで落ち着いた雰囲気のエリアにあります。
直接メールでシャワー・トイレ共同のシングルルームを1泊48ユーロで予約。
外観はほんのりピンク色、中に入ればとってもシック、
(私の)部屋の中はビビッドアートという三段構えで楽しめます。
ホテルのサイトですべての部屋の写真が見られるので、どの部屋にするかあれこれ悩むのもまた楽し。
といいつつ、私の選択肢は一番安い部屋しかありませんでしたが。
空調無し+窓が少ししか開かない部屋だったので、体力の限界を感じました。
今度はいい季節に、ゆったりした気持ちで泊まってみたいものです。

余談ですが、何故か窓にかけられた簾のようなものの長さが20cmほど足りず、
ベッドに寝転んだり着替えたりするたびに、向かいの建物の事務所らしき部屋の
パソコンに向かっている人々から丸見えなのではないかと気が気でない滞在でした。
そして最終日、いざ出発という段になって簾の後ろにブラインドがあることに気付きました。

| Arte Luise Kunsthotel |
Luisenstr.19 10117 Berlin
http://www.luise-berlin.com/

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